「循環型の乳酸菌をめざして」vol.28 西村順子
(食品微生物学、畜産物利用学、応用微生物学、食品衛生学)
公開日:2020.3.17
ヒトの腸には約100兆個とも1000兆個ともいわれるほど沢山の腸内細菌が生息しています。しかも重量にすると1.5~2kgにもなるそうですが、皆さんご存知でしたか? 今回は食品微生物の中でも細菌、特に善玉菌の代表格ともいえる乳酸菌の機能と食品応用についての研究をしている、食農学類の西村順子教授から色々お話を伺いました。 ****************************************

■ 専門分野に進んだきっかけ

Q 研究の道に進みたいと思ったきっかけを教えて下さい。
A 高校生の時に化学が得意で、特に有機化学にはとても興味を持っていました。出身大学は北海道の帯広畜産大学で、大動物を扱う授業が多かったのですが、3年後期の研究室配属に、生物系もしくは化学系のいずれかから研究室を選ばなくてはなりませんでした。生物系は主にフィールドで研究を行うため、体力的に無理だろうと思ったのと、高校時代の得意科目が化学でしたので、迷わず化学系を選びました。最終的に「酪農化学研究室」を選んだのですが、ミルクオリゴ糖の研究をされていた先生がおられ、「糖の研究をやらないか?」と声をかけていただいたことが、この道に進むきっかけとなりました。

Q 先生のご出身は福島県だそうですね。
A 県北の伊達市出身で高校生の時まで住んでいました。高校卒業までに福島大学を訪れたのは大学祭とセンター試験(共通一次試験)の2回だけです。当時の福島大学は理系の学部が無かったので、まさか将来、自分がこの大学で働く事になるとは思いもしませんでした。ちなみに共通一次試験の受験時は、S棟が試験会場だったということを赴任してから思い出しました。

Q 先生の専門分野や研究内容について教えて下さい。
A 専門分野は食品微生物学、畜産利用学、応用微生物学、食品衛生学になります。畜産物利用は乳・肉・卵、いわゆる畜産の"最後の出口"のところが研究対象になります。これまで研究対象としてきたのは主に発酵乳製品で、食品微生物として乳酸菌の機能性を調べる研究に従事してきました。微生物は二次代謝産物として抗菌性物質や菌体外多糖などを生産しますが、それらが私達の健康や食生活において、どのようないい作用を持ち合わせているのか、どのように効果を発揮するのかについて調べています。 また環境中にも乳酸菌が生息しており、こちらでも重要な役割を果たしていることが判っています。近年は、堆肥腐熟と乳酸菌がどのように関係しているのかについても研究しているところです。

Q 乳酸菌の菌体外多糖について、もう少し詳しく教えていただけますか?
A 納豆菌がネバネバ成分を作り出すように、乳酸菌の中にもネバネバ成分を作り出すものが存在します。カスピ海ヨーグルトは代表的なその一例です。ネバネバ成分が身体にいいということは、だいぶ広く知られるようになりましたが、まだまだ判っていないところも多いので、今後さらに追究したいと思っています。 それとは逆に、菌体外多糖が悪い方向で作用することがあります。その一例として、虫歯菌による虫歯発生は、虫歯菌の作り出す菌体外多糖(バイオフィルム)がプラーク(歯の表面に付着した細菌のかたまり)を形成することによって引き起こされます。プラーク内の悪い細菌をやっつけようとして、抗生物質を投与しても、このバイオフィルムのせいで抗生物質が中まで入り込めず、効果が発揮できません。そういった面からも、菌体外多糖についての基礎を知るというのは、とても大切だと思っています。

Q 現在は乳酸菌の研究がメインですか?
A 乳酸菌研究は25年間ぐらいずっと取り組んできてメインの仕事ですね。しかし前任地では、地域貢献型の研究が推進されていましたので、乳酸菌のみならず一般細菌に研究対象を広げました。この地域貢献型の研究を進めるうちに、家畜堆肥中の乳酸菌が良質な堆肥作成に関係しているのではないか、ということが判ってきて、こちら福島大学でも続けることになりそうです。

■ 20年越しの成果

Q 今までの研究で特に大変だった事は何ですか?
A 苦労した事は成分の採取・抽出です。菌体外多糖のときは、1?培養しても10mg前後しか取れず、労力も時間もかかるうえに、データが全く出ないまま1年以上を費やしたことがありました。物を単離・精製する大変さはその時に実感しました。 また別の成分調製のときですが、やっと精製できて、これが終わったら学会に持っていくぞという最後の段階で、移し替えの時に試料をこぼしてしまい、学会に行けなくなったことがありました。

Q いつ頃の事ですか?
A 大学院生の時です。予備のサンプルも無く、あらゆる手段を使って回収を試みましたが、結局、駄目でしたね。

Q それは残念でした。では逆に予想外の発見や結果など、良かった事は何ですか? A そもそも菌体外多糖の研究は、企業との受託研究でした。 菌体外多糖は糖が連なった高分子物質ですが、構成する糖がどのようなものなのか、どういう配置で繋がるか、までは決められたのですが、契約期間内に完全な化学構造までは決められませんでした。次の契約があるかどうかも分からず、中途半端のモヤモヤした状態でした。しばらくしてから、その菌体外多糖の化学構造解析に関して、カナダの研究機関とその「企業」がチームを組んで研究を行うことになりました。その研究グループから私にも声をかけていただき、やっと全体の化学構造を決められたという事がありました。私がその菌体外多糖の研究に携わってから20年以上かかりましたが、権威あるジャーナルにも載せていただきましたし、何はともあれ化学構造をきちんと決めるというのが本当に夢でしたので、とても嬉しかったです。


■ 宝の山はこんなところに

Q プロバイオティクスヨーグルトは今やメジャーな食品となりました。菌については基本的に何を入れても良いのでしょうか?
A 世界では指定された2種類以上の菌を入れてヨーグルトを作ることになっていますが、日本ではその法的なしがらみはありません。すなわち世界基準に則ったもの、逆に1種類だけで製造したものも市販されています。

Q では変わった菌を使ったり、面白いかけ合わせなど色々な事が出来そうですよね?
A そうですね。食品ではGRAS(Generally Recognized as Safe)という用語があり、これまでの食生活で一般的に安全性が確保されているものは使用可能です。さすがに堆肥から分離した乳酸菌をヨーグルトに使用するのはできませんが。

Q そうなのですね。先生が家畜由来の中でも馬のフンで堆肥を作ろうと思ったのはなぜですか?
A 前任地の青森県は元々、軍用馬の産地ですが馬に関する研究をされている方が周りにいませんでした。それと、私が昔から馬が大好きだったのがきっかけです。
馬というのはマウスやウサギなどと同じ後腸発酵動物です。食べたものをルーメン(第1胃)で発酵する前胃発酵動物の牛や羊と違い、盲腸の常在菌を使って食べたものの消化発酵をします。またウサギやマウスは食糞といって、出てきた糞(微生物のたんぱく質)をまた自分に戻す栄養摂取行動をしますが、馬は基本的に食糞をしません。馬糞には良い微生物や細菌などが多く含まれているので、それを堆肥化するという事は研究者の自分からみると宝の山でした。




堆肥を作るためには水分含量を50~60%にする必要があり、その調整に副資材を加えるのですが、通常は稲藁やおがくずを用いるのですが、今回はもみ殻を用いています。約1カ月堆肥化すると乳酸菌の割合が増えていることが分かりました。 畜産物排泄物の堆肥作成時は「悪臭」が社会問題になるので、悪臭対策の一つとして、馬糞堆肥化にともなう有機酸の変化を分析しました。その結果、馬糞から発生する有機酸は酢酸と乳酸と酪酸の混合なのですが、堆肥化するとほぼ全て無くなります。一般的に堆肥作成時に腐熟がうまく行かないと、独特な腐敗臭がするのは吉草酸(きっそうさん)などの臭い成分が残っているからなのですが、馬糞にはそもそも含まれておらず、堆肥化するとさらに他の成分もなくなります。馬糞を用いて、もみ殻の量や湿度・水分などを適切に保ち、完全に腐熟すればかなり良い堆肥が出来ると思います。 福島では、農地のベースとしての堆肥活用に高い関心が集まっており、他の先生方にも興味を持っていただいています。現在、共同研究活動に向けて動こうとしているところです。研究の遂行で「循環型の微生物、循環型の乳酸菌」という道筋がみえてくればと考えています。今はやる事が沢山あってかなり充実しています。

■ 発酵乳製品で、これからの福島を

Q お休みの日はどの様にお過ごしですか?
A 家事やドライブしていることが多いです。ドライブの途中で道の駅めぐりをしたり、行った先で観光もしますが、乳・乳製品のリサーチもしています。ただ福島は思っていたほど酪農が盛んではなかったので、それがちょっと残念です。

Q 確かに、酪農家は少なくなっているかも知れません。
A 川俣町の山木屋では以前、本格的にチーズを作っていた施設があったとうかがいました。震災後、施設はクローズしたままのようなので、どうにかできたらいいのですが。これまでの学生実習で、熟成チーズの製造を指導した経験があるので、施設があれば是非また作りたいです。

■ 影響を与えてくれた人や本

Q お忙しいとは思いますが、読書などはされますか?
A 最近だと樹木希林の「120の遺言」という本が良かったです。昨年、2週間位入院をしていた時に読んだのですが、自分の年齢や体調をもとに、先の事を考えたりしましたので、大変感慨深かったです。常に達観というか、自分の事も含めていつも俯瞰しているところがすごいなと思いました。希林さんは自分の好きな事をずっとやり通しましたし、何はともあれ、旦那さんのことをすごく愛していたんですね。人として生き切ったのではないでしょうか。幸せな人生だったと思います。

Q 尊敬する方などはいらっしゃいますか?
A 尊敬する人は共同研究者だった磯貝先生という女性の方です。獣医で公衆衛生が専門でしたので、病原菌も含めた微生物全般について教えこんで下さりました。 メンターでもあり、私がくじけそうになると「何言ってるの。そんな事考えているんだったら、論文1つでも書いたら?」とアッサリ言われていましたね。煮詰まっていても磯貝先生と話すと「悩んでる暇は無いな」といつも勇気づけられていました。磯貝先生は論文数が約400報、年間で10報前後はお出しになられていたパワフルな方です。 私の世代になると女性研究者も増えてきますが、当時の社会環境では逆境が多く、その中でバリバリ働き、戦い抜いてきた先生なので女性研究者としての憧れです。超えることは出来ませんが、どうやったら近づく事が出来るだろうと日々思っています。

西村先生のこれまでの研究業績はこちらhttp://kojingyoseki.adb.fukushima-u.ac.jp/top/details/439

*****************************************

馬が大好きな西村先生。 乗馬をはじめ、これまで色々な形で馬に関わってきましたが、本当は純粋に馬を見ているだけで幸せなんだそう。「なぜか肩の辺りを噛まれる時があります(笑)」という馬との不思議な関係、今後は馬由来の乳酸菌の研究をとおして、さらに素敵な関係が築いていけるよう期待しております。